春のこの時期の私の楽しみの1つには「山菜採り」があります。
まだ早いかなと思いつつ、12日(火)に期待を込めて近くの神社の森に入りました。枝の先にほんの少し緑色の芽が見えました。(ああ、まだだな)と思い、今朝、同じ森に行きました。
道路沿いに人の話し声がします。(しまった、先を越された)男の人が二人。手にはスーパー袋いっぱいの山菜。顔を見ると知っている方で、お二人とも、今朝がねらい目と早朝に森に入ったそうです。今年初めての山菜だとお二人とも喜んでみえました。
あわてて、森の中に入りました。お二人は別の「生え場」に行かれたようで、私もあっという間にスーパー袋一杯の収穫がありました。
今朝の収穫です。「コンテツ」と私たちが呼んでいる山菜で、個人的には「タラの芽」よりも好きです。
物事には「時期」というものがあります。
私たちの療育も一緒で、「まだ、これはむずかしいだろうな。もう少し」とあえてやらないときもあります。「これができるようになったからそろそろだな」とむずかしい課題に挑戦することがあります。
昔、私がまだ若いころ、ダウン症のお子さんを受け持っていたことがあります。「くつ下ぐらい自分ではけるようになったらうれしいな」と保護者の方が言われます。小学校の先生は6年間、毎日靴下をはく練習を続けたそうです。その子と一緒に支援の先生も 小学校から中学校へあがってきました。でもその支援の先生は中学生になって、4月当初は靴下をはかせる練習をしていたのですが、しばらくやめていました。
6月ごろでしたか「あっ」とその先生がさけび、「手首がかえせるようになった」というのです。「靴下はけるかもしれない」と3時間ほど集中的に特訓されました。見事に靴下をはくことができるようになりました。
その時、その支援の先生が「小学校で毎日練習してきた6年間の積み重ねがあったからはけるようになったのか、それともはける力がついてきたタイミングで練習したからできるようになったのか、どっちだと思う」と私に問いかけてきました。
正直、明確な答えはわかりませんが、ひとつはっきりしているのは、4日前にいくら森の中をはいずりまわっても、山菜はとれなかったということです。
物事には「時期」があります。適切な時期にその子にあった支援をしていれば、その子の成長を促すことができるはずです。