2024年1月17日(水)の中日新聞朝刊「くらし」面に「学びの始点 見落とさずに」という見出しの記事が載っていました。少し引用します。
ーーー (前略)子どもの学習だけでなく、学ぶということは「わからない」ことから出発するのが基本です。子どもの「わかりたい」という気持ちや「おもしろそうだ」という好奇心をどうやって見つけ、拾うかがとても大切です。
練習問題がみんな間違っているので泣いている子どもがいた時に、「よく見直してごらん」とか「泣いていないで、間違いを直しなさい」と言われても元気は出ません。私は「一生懸命頑張ったのに、どうして間違っちゃったんだろう?どこで間違っちゃったか一緒に探してみよう」と声かけします。丁寧にやっていくと「あっ、ここだ」と気づくときもありますし、基本のところで間違っていることだってあります。「分からなかったところが、分かるようになるから、賢くなれるんだよ」と言うと、子どももうれしそうです。
「こんなに分かりやすく説明しているのだから分かるはずだ」という先生は小さいころから優等生だったのでしょう。子どもは「何が分からないかが、分からない」のです。算数だけではなく人生もそうですが。ーーー
この記事にはすごく共感しますね。「きらり」の学習支援も「どこで間違えたのか」に気が付くことが大事にしています。
大人はどうしても教えてしまう。でも、子どもは「わからないから一緒に考えて」って思っているのです。だけど「そうじゃないでしょ。こうでしょ」と結論だけを押し付けようとしてしまう。そのくせ「考えることが大事だ」と正反対のことを大人は子どもに求めます。