最近読んだ本を紹介します。それは、宮地尚子『傷を愛せるか』(ちくま文庫)です。
著者はトラウマやジェンダーの研究をしている精神科医で、これはエッセイ集になります。この中に「宿命論と因果論」というエッセイがあり、こんなことが書いてありました。
「事故や重病に見舞われることに理由はあり、同時に理由はない。回復するかどうかは努力次第であり、また運次第でもある。過去を受け入れ、同時に未来への希望を紡ぎつづけるには、おそらくほどほどの無力感=宿命論と、ほどほどの万能感=因果論を抱え込むことが必要なのだ。両方を共存させ、納得しやすいほう、生きていくのが楽になるほうを、そのときどきで都合よく使いわけることが重要なのだ。」
短い文ですが、その内容は深いと思います。私たちは生活の中で様々なことに見舞われますが、そこに理由はあると同時に理由はない、一見冷たい表現かもしれませんが、実に的を射ています。だからこそ、ほどほどの無力感と、ほどほどの万能感を自分の中で共存させて、自分が納得しやすいほう、生きていくのが楽になるほうを、その時々で都合よく使い分けていくのが重要である、という考えに行きつくのだと思います。
療育を通してお子様と接していると、そのお子様の困りごとには大小さまざまな要因があることがわかります。お子様によって、そのさまざまな要因の絡み方が違いますし、その時はうまく行ったけれども、同じやり方が別の時にはうまく行かなかったということはよくあります。だから私たち支援する側は、常に探りながら、試行錯誤しながらお子様と関わっていきます。その行ったり来たりを繰り返すことが、お子さまとの関係性を築くことにつながっていきます。関係性が築けると、少しずつお子様の自己肯定感が高まっていきます。
私たち支援する側はその時に最善と思われるやり方を、いい意味で都合よく使い分けていますし、お子様自身もその都度自分でどうすればいいかを様々な選択肢の中から選択できるようになると、生きる力が育まれていくのではないでしょうか。
都合よく使い分けることで、自分が納得しやすくなり生きていくのが楽になるのなら、深く悩みこんでしまうことなく、明るく前向きになれそうな気がします。