昨年の11月に円座校で『子どもの姿を信じる障がい児養育』というイベントを開催しました。会の終わりごろに、参加された保護者様同士の語らいがあったのですが、ある参加者からお子さんの行動についての困りごとが語られ、オトムラシンさんは「諦めればいい」という旨のお話をお返しになりました。その会では大きく取り上げられなかった「諦める」という言葉ですが、私の心には「その通りだ!」と響きました。
理屈っぽくなりますが、「諦」という漢字の意味は「あきらかに・ものの真実をよく見る・あきらめる・断念する」といったものです。「諦める」とか「断念する」というのは少し後ろ向きに聞こえますが、イベント中のご発言を私は「物事をよく見る」として受け止めました。
このマンガに描かれているのは、家の外では食べているようなので「ま、いっか」という諦めですね。家の外では頑張っている真実を知り、家の中で無理に食べさせるのを諦めたというエピソードです。
発達障がい児への関わりは、このように当事者であるお子さんを知り、自分の価値観を押しつけようとする姿勢を諦めるという「相手を知り、自分を抑える」ことが必要なことが多いものです。そして、これは人付き合いの基本でもあり、実は発達障がいの有無に関わらず、他者と関わるときに私たちが心しなければならないことでもあります。そうは言っても、私も親なので、1コマ目や2コマ目の態度にも共感できます。ついつい我が子なのでコントロールしたくなりますよね。しかし、このご両親は社会的な場では問題にならないことを知り、その管理的な姿勢を諦めました。ここに学ぶものがある気がします。
最後になりますが、まさくんの「頑張り」をきちんと見出して、お母様と共有をしてくださった保育士の視点は素敵です。ここからも学びをいただきました。
栗林南校児童指導員 大内雅登