しばらく前に長野市で行われたZoomでのある研修会で、長野市の担当者の方が、こんな内容のあいさつをしておられました。
「発達障害のお子さんを一生懸命育てているお母さんが、お子さんについて困り感を抱いていたところ、実の両親や義理の父母から、『あなたの育て方が悪いんじゃないの。』と言われ、ショックを受けている。そのため、ある学校ではおじいちゃん、おばあちゃん向けの研修会を行っている。」
そんな考え方、時代遅れだろう、と言いたくなるところですが、口にするかどうかは別にして、こういう考え方をしている方は、まだ結構いらっしゃるのではないかと思います。たとえば、きらりをご利用中の保護者の方のご両親(お子さんの祖父母)の年代の方にとってみれば、こういう考え方を抱くのも無理のないところがあります。今回は、ASDを中心に、その原因をどう考えるかについて、少々歴史をさかのぼって考えてみたいと思います。やや硬い話になりますが、お許しください。
そもそも、ASDのSはスペクトラム(spectrum、連続体)の頭文字です。スペクトラムという考え方が出てきたのはつい最近のことで、それまでは広汎性発達障害だとか、高機能自閉症、アスペルガー症候群(このあたりの詳しいことは、2011年発行の本が教室にありますのでご覧ください。)など、いろいろな区別や呼び方がなされていました。ではその前はというと、自閉症、とひとくくりに考えられていました。後述の文献でも、自閉症とは、というタイトルでまとめて説明がなされています。
時代を今から40年ほど前、今のおじいちゃんおばあちゃん世代が若手、あるいは中堅としてバリバリ活躍していた頃に戻してみましょう。昭和53年に発行された、大学で心理学を専攻する学生向けの専門課程のテキスト(倉石他、1978)には、こんな記述があります。
「自閉症の原因について先に述べたように確定的なものは見出されていないが、両親との関係など心理的な原因を考える説と、脳幹網様体異常説や言語認知障害説などのように何らかの器質的障害を推論する説とに分けることができる。」
「(自閉症の)確実に有効な治療法も見出されていない。」
「遊戯療法や行動療法が何らかの有効性を有していることは明らかなので、それらを基礎として、より良い方法を求めて治療者は努力を重ねているところである。」
(倉石精一、苧阪良二、梅本堯夫編(1978)、『教育心理学 改訂版』、新曜社)
文化庁長官も歴任された、故、河合隼雄先生がお書きになった部分です。
私の学生時代、私を臨床心理学の世界へと導いて下さった指導教官は、自閉症に関する研究をしておられました。先生は当初、心理的な原因と考える説に立って遊戯療法を取り入れたセラピーをしておられました。しかし、「心の病」という立場に疑問を感じ、私が研究室に入った頃は行動療法を取り入れた支援へと切り替えておられました。まさに今、きらりで行っているような個別や小集団での支援を取り入れた療育への舵を切ったのです。確か先生は、この当時の日本の臨床心理学会では、自閉症の原因が心因論と考える立場から脳の何らかの器質障害によるとする立場へと変わってきて、学者の立場は4対6くらいかな、と言っておられたと記憶しています。自閉症に関する学説も転換期にあった時代でした。
自閉症の研究者の間でも、この頃はまだまだ心因論が有力で、心因論を唱えていた著名が学者もおられました。こんな状況でしたから、世間一般の考え方は、自閉症は、「両親との関係など心理的な原因」による、すなわち、親の育て方に問題があるからではないか、という立場が強かったのも当然だと想像できます。
人のものの考え方は、なかなか変わりません。新しい考え方をどんどん取り入れている方は別として、多くのおじいちゃんおばあちゃん世代の方には、「あなたの育て方が悪いんじゃないの。」という考え方がすり込まれていても不思議ではありません。現在、心因論は否定されていますが、人の考え方が変わるまでには時間がかかります。
こんなことを書いていると、これを書いている本人はどうなのか、と思ってしまいます。私にだって同じことが言えるはずです。経験や昔の知識だけでものを言っているのではないか、という怖さを感じることもあります。もしそうだったら、支援に関わるものとしては失格だと思っています。たくさん本を読んだり、研修に参加したりすることで、出来ているかどうかは別として、新しい知識を取り入れていきたいという思いだけはあります。保護者交流会で外部講師を招いていろいろなお話をしていただいているのは、保護者の方のためであると同時に、私自身の知識や認識をブラシュアップするためでもあるのです。
これからもいろいろな本を読み、教室に置いていきます。コロナ禍はとりあえず落ち着きをみせてきましたので、保護者交流会も再開します。教室の本や保護者交流会が、皆さんにとっても何らかのお役に立つのであれば幸いです。【山】