こんにちは
きらり小幡校の児童発達支援管理責任者兼管理者の岡村です。
来年の1月で、こどもサポート教室「きらり」小幡校は開校から10年目を迎えます。
ここまで事業所が継続してこられたのもご利用者様、保護者様の支えがあってこそだと思っております。本当にありがとうございます。
わたしが小幡校に赴任したのは2020年のコロナ禍でした。
あれから5年も経ったのかという驚きと、様々なお子様と保護者様に関わらせていただいたなぁと日々を振り返っております。
そんなわたしが、「療育」にたどり着くまでと、その重要性を身もって実感した出来事を何回かに分けてお伝えできたらと思っています。(前振りもあり長くなるかもしれません。)
わたしは前職で中学校の社会科の教員をしていました。
多くの生徒を見ている中で、「境界知能」「広汎性発達障害」「自閉症」などの診断を伝えられたというご連絡を保護者様からいただく事がありました。※一部、現在と診断名が異なります。
ある年、わたしは中学1年生の学年を担当する事になりました。その中で、「広汎性発達障害」という診断名が幼稚園生の頃から出ており、親御さんからは少しだけ注意して見てほしいといわれるお子さんがいました。その子が題名にもあるA君でした。
1クラス30人の生徒数でも様々な特性をもったお子さんがいました。
「人目が怖くてトイレまで歩けない」「学校が怖くて登校できない」「授業中突然立ち上がる」「体育の授業中の声が気になり、その声に合わせて一緒に騒いでしまう」「授業中に窓についたカメムシが気になって離席して捕まえる。」※カメムシ事件は異臭でクラスが大騒ぎになりました💦
その中でも診断名が最初から出ているA君は、わたしから見ると「どこに特性が隠れているのかわからない」という感想を抱きました。
<保護者様から聴いていたお話。>
・臨機応変がわからず、決められていないものに取り掛かるのが苦手。→泣く事もある。
・口喧嘩から発展して手が出てしまう。
・授業中わからない事があると、やる気をなくしてしまう。→パニックになる。
でした。
<A君のクラスでの様子>
・給食委員会として、毎回変わるゴミ袋の種類と数にも自分で献立表を見て判断できていた。→間違える事がたまにあったとしても、「ごめんごめん」と言ってすぐに対応していた。
・英語が苦手だったが、自分のペースで板書の書き取りをしていた。→間に合あわないところは友人に写させてもらっていた。
・たまにクラスメイトと口論になる事はあったが、手が出る事はない。
その後、家庭訪問があり、初めてA君のお母さんと個別でお話する事ができました。
「小学生の頃は友達とよく喧嘩になり、相手方の家に謝罪に行っていた。1回2回どころではない。」
「臨機応変がわからず、ボーっとしてその後パニックになる事があった。」
「学習に関しても、きょうだいと比べて出来ない事をかなり気にしている。」
という事でした。
学校でのA君の様子を伝えると、大変驚いた様子で、
「これまで『療育』に通っていたのが、中学校生活でやっと活かされた気がします。」
「安心しました」
との事でした。
そこでわたしは「療育」という言葉を大学の授業ぶりに聞いた気がしました。
まさかその2年後「療育」の職場に就くとは思ってもいませんでしたが、「療育」というワードが頭に残る最初の出来事になりました。
つづく

